大阪南部、河南町の大ヶ塚は、あまり知られていないが、寺内町として栄えた。
江戸時代は幕府領であり、米・木綿・菜種などの集散地として発展した。南町・西町・市場町・乾町・東町の五町があった。
元禄2年(1689)当村に立ち寄った貝原益軒は「南遊紀行」で「民家五百廿軒あり」と記している。
台地上の大ヶ塚の町並は、かって寺内町から江戸期の繁栄を物語った面影を色濃く残し、周りの農村集落とは異なる景観を呈している。